筋ジスと

筋ジスのこと、たまには筋ジスと関係ないことも。思うままにつらつらと。

私の職歴について

大学卒業後から今まで、仕事は何をしていたのかというお話。

 

私は22歳で筋ジスの発症を自覚するまで自分が障害者になるとは夢にも思わず過ごしていました。元々、小さい頃から何か手に職をつけたいと思っていて、器用だったこともあり手先を使う仕事がしたいと考えていました。中学生頃にはアパレル系で働きたいと思っていて、デザインの才能はないと思っていたので、パターンを作る人とか、繊維の研究とか開発とか、サンプルを作る人とか、企画をする人とか服作りのどこかに携わりたいと思っていました。高校生になってからはワコールの人間科学研究所が憧れでした。

 

しかし、大学生になって就活を開始して早々、エントリーシートの段階で憧れのワコールからは不採用通知が届きました。軌道修正をしてそこからはアパレル以外の業種も受けてみたのですが、結局アパレル業でという初志貫徹でスーツの販売員になりました。

 

販売員が向いているとは思わなかったので、いずれは裏方(企画とかバイヤー)になりたいなと思いながら働き始めたのですが、その年に筋ジスを発症してしまいました。当時は腕が動かなくなった原因がまさか筋ジスだとは思わず、病院でも「ストレスかなぁ?腱鞘炎かな?ちょと仕事をセーブしてみたら?」と言われて、午前中リハビリに行って午後から出勤するなど職場にも配慮してもらいました。しかし症状は悪くなる一方で、スーツは持ち上がらず、レジは打てず、お金を扱えず、(どれも手がだらーーんとなってしまう)できる仕事がほとんどなくなってしまったので一旦休職しました。大きな病院にかかって、まだ病名は分からないもののすぐに治るものではなさそうだ、という事だったので復帰することなくスーツ屋さんは退社しました。お店のみんなには迷惑をかけっぱなしで、ちゃんと挨拶をすることもなく辞めてしまったので今も申し訳ない気持ちがあります。それでも退職後も良くしていただいています。ちなみに夫はその時の同期です。

 

そこからいったん実家へ帰省してしばらく地元の病院に通いながら過ごしていたのですが、地元ではなかなか仕事がなく、また実家暮らしだと親に甘えてしまってダメ人間になっていくのが目に見えていたので(私は楽な方、楽な方へ流されていくタイプです)、妹の上京のタイミングで一緒に上京しました。病院の方も紹介状を書いてもらい、東京医科歯科大学へ転院、入院して検査をすることに決まりました。が、検査入院で緊急を要するものではないため入院日は未定で2~3か月後の予定という状況でした。

 

それなら入院するまでの仕事という事で短期のアルバイトを探し始めました。相変わらず腕は動かなかったので接客以外で、なるべく座ってできるデスクワークでという条件で探して、テレフォンオペレーターの仕事を始めました。病気のことは話さず(まだ筋ジスとは分からなかったし)普通の人に混ざって働いたのですが、仕事をすること自体は問題ありませんでした。仕事内容はヘッドセットをつけてかかってきた電話を受けて案内をして内容をPCに記録するというものですが、ほぼほぼクレーム処理で、謝ってばかりで精神的にはあまりよろしくはなかったです。自分の責任が少しでもあれば心から謝れるのですが、その日初めて聞いた企業の商品について謝罪してもなかなかうまく謝れないものです。謝罪には技術が必要だと感じた2か月でした。でもデスクワークならばフルタイム勤務ができそうだという自信も得られた2か月間でした。

 

次の仕事は入院中に探し始めました。今思えば、入院中くらいゆっくり休めばいいのにと思うのですが当時はメンタルがやられていて(悲劇のヒロイン期 - 筋ジスと)、障害者になってこれからどうやって生きていけばいいのか不安で不安で仕方がなかったのです。それをケースワーカーさんに相談したところ、「今度障害者向けの就職フェアがあるから、どんな仕事があるか行ってみたら?」と言われ、わざわざ外出許可をもらい、荷物持ちに妹に来てもらい、筋生検の抜糸もまだで腕がズキズキ痛む中、痛み止めを飲みながらふらふらとそのイベントに出かけたのです。障害者向けのイベントなのでもちろん障害はオープンにして「筋ジストロフィー疑いでもうすぐ診断がつきそうです。手帳も取得予定で4級見込みです。」という事でいくつかの企業に履歴書を出してきました。

 

そのうちの1つで採用が決まり退院後働き始めました。百貨店の一般事務で障害者枠の契約社員でした。PC作業も事務も初めてで自信がなかったので、採用してもらえただけでありがたかったし、同じチーム内はいい人ばかりで上司も高く評価をしてくれていたし、可愛がってくれる再雇用のおじいちゃんもいたし(食べ物沢山くれる)、派遣のお姉さま方にもすごくよくしてもらったのですが、1年くらい働いていると待遇に不満が出てきました。はっきり言ってしまうと給与が低すぎるという事なのですが、契約社員だとボーナスもなく、昇給もなく、各種手当もなく、社員さんと同じように、下手したらそれ以上働いているのに不公平だなと思うようになりました。私はデータ入力要因として雇われたのですが、高く(今思えば高すぎる)評価してくれた上司に付いて、重要な会議などにも参加させてもらい、新システム導入時には社員用のマニュアルを私が作っていました。1度「この給料では生活が苦しい、退職しようと思う」と伝えたところ少し上げてもらえたのですが、それでも苦しかったので、「障害者枠での仕事は生活が厳しい、やはり何か手に職をつけねば!手っ取り早く何か資格を!!」と考え、本気になったので大原(専門学校)に行きました。そして働きながら取れそうな資格を選んで講座に申し込みました。しかし、百貨店勤務の場合、事務職だとしても始業が遅いので終業も遅く、定時であがっても授業の開始時間に間に合いませんでした。盲点!!!(その辺は事前に確認しとけという話ですが)そこで、授業に通えるよう転職活動を始めました。

 

転職活動は初めてエージェントを使いました。障害者採用専門のテンプスタッフフロンティア(現DODAチャレンジ障害者の求人・転職ならDODAチャレンジ - 転職を成功に導く仕事情報、転職支援サービス)というところです。他にもどこか使った気がするけど忘れました。その時の条件は給料の多少のアップと専門学校に通える距離に所在していることと、専門学校に通える時間に仕事が終わることで、仕事内容はデスクワークだったら何でも可でした。

 

ありがたいことに複数社から内定をいただいたのですが、その中から今の職場を選びました。オフィスビルが地下鉄の駅から直結で雨の日も傘を差さずにたどり着けること、資格取得後も働けそうなこと、ちょっと給料が上がること、資格取得を応援する制度がある(試験休暇制度など)ことなどが決め手でした。今の会社は悪くはないです。元々人事部で書類整理やデータ入力をしていたのですが、私の希望で現場に異動になり、最近正社員にもなれて安定した身分を手に入れました。第1子出産後は契約社員だったのに、育休を取得し復帰後も時短勤務をさせてもらっているし、今回第2子を出産して2回目の育休を取得させてもらっています。有給も取りやすい雰囲気があるし、リモートワークも推奨されています。ただ、私は障害者であり、時短勤務でもあり、アシスタントという下っ端でもあるから今の状態が許されているけれど、アシスタントから上にあがろうとすると結構厳しいのかなと感じています。英語も使えないといけないし、資格も早くとらないといけないし、仕事量もプレッシャーも増えて、時期によってはかなり残業も増えます。

 

育休から復帰したら小さい子2人を育てながら、仕事しながら、筋ジスと付き合いながら、資格取得の勉強を続けつつ、日々の生活をこなさないといけないわけですが、今は出来るところまで頑張って無理ならまたそこで考えようと思っています。

 

筋ジスの場合、何の仕事でもできるという訳ではないのが難しいです。例えば家の近所でパート勤務ができれば子どもとの時間も確保でき、勤務時間もある程度自由になると思うのですが、求人があるレジ打ちとか接客は出来ないし、清掃アルバイトも無理です。自分の価値をあげて、高い時給を稼げるようになって、短い時間でも生活していくお金を稼げるようになりたいです。