筋ジスと

筋ジスのこと、たまには筋ジスと関係ないことも。思うままにつらつらと。

スカイツリーに行ってきたら、オタクが羨ましくなった話

私、34歳になりました。で、先日その記念に家族でスカイツリーに行ってきました。私たち夫婦はスカイツリー開業日に入籍したこともありちょっとスカイツリーに思い入れがあります。

 

誕生日の記念で行くので、まず展望台にのぼって景色をゆっくり見て、記念写真を撮って、記念グッズを買って、ソラマチのちょっといいレストランでランチを食べて、お店をぷらぷらして、キルフェボンでタルトを買って帰ってきたいなと思っていました。そして時間があったら水族館に行くのもいいなぁと。

 

しかし、子どもがそんなプランにおとなしく付き合ってくれるはずもなく、長男(4歳)は行きの電車から「まだぁ~?遠い~」とグズグズ。平日の展望台は待ち時間もなくスムーズに上がれたのですが、景色に興味はないようで「お腹空いたぁ~。お子様ランチ食べる~~。早く~。」とグズグズ。私が行きたかったレストランにも子ども用メニューはあったのですが、いわゆるお子様ランチではなく大人用の量が少なくなっただけ、みたいな感じだったので、長男の希望を優先し普通のレストランで食べました。グッバイちょっといいレストラン・・・。その後も長男の希望で「こどもの湯(東京こども区 こどもの湯 〜史上最大級のボールプール温泉〜)」というボールプールで遊び、その後、遊び疲れた長男を引きずるようにして何とかキルフェボンのタルトをゲット。自宅で晩ご飯の後に食べたのですが、いちごなど美味しそうなところは全部長男に食べられ残りを私が食べるという残念な結末でした。

 

でも、帰ってきて感じたのは、「今日ボールプールで遊んだの楽しかったなぁ」という事です。私は今までタワーとか展望台とかが好きで、ただぼーっと景色を眺めるのが大好きだと思っていたのですが、今回は「展望台そんな楽しくなかったな」と思いました。もちろん子どもがいて自分のペースで楽しめなかったことも原因の一つですが、それ以上に子どもが楽しんでいる姿を見ていると自分も楽しいと感じていると気づいたのです。

 

そして更に、過去に展望台にのぼって楽しいと思っていた経験も、一緒にのぼっていた夫が楽しそうにしていたから楽しいという記憶が残っているような気がしてきました。夫と交際中にはよく動物園デートや水族館デートをしていて、自分は動物好きだからそのデートが楽しいのだと思っていたのですが、よく考えたら夫が楽しそうにしていたから楽しかっただけのような気もしてきます。

 

すると、私が本当に好きなことって何なんでしょう?今までの人生、周りから影響を受けまくり、流されるままに生きてきた自覚があり、自分の強い意志で選択してきたことなんて何もないような気すらしてきました。私は自分のセンスに自信がない上に、他者からの評価を過剰に気にする性格で、自分の責任で何かを選択するという事が昔からとても苦手です。

 

例えば、友達同士でファミレスに行ったとき注文するのが苦手です。「みんながパスタとか軽いものにしてるのにハンバーグセットはよくないかな」とか「みんなデザート頼むなら私も頼むべきかな」とか「ドリンクバーいらないけどみんなが頼むなら注文したほうがいいかな」とか、そんなことどうでもいいし誰も気にしてないよ!ってことを気にしてしまいます。それからカラオケもとても苦手です。音痴と思われるのも、カッコつけて歌ってると思われるのも、そんな歌うたうんだ~と思われるのも気にしてしまって、結局曲を選べなくて「私はいいです・・・」とか言って(あーもっと空気を悪くしてしまった・・・)と更に落ち込んでしまうタイプです。歌うこと自体は好きなので一人カラオケは問題ないのですが。他にも「そんな服選ぶんだ・・」って思われるのが怖くて友達同士の買い物でも何も買えず、これまた(あーまたまた空気を悪くしてしまった・・・)と落ち込みます。

 

これらはほんの一例で、一事が万事、全てこんな感じで「私はずっとこれが好きです!!!」とか「私が生涯をかけてやりたいことはこれです!!!」みたいなものがないのです。高校選びも大学選びも「○○先生が勧めてくれたから」という理由で、ろくに自分で調べず決めてしまいました。もうずっとそうやって生きてきたので、今私自身の本当の気持ちは?と考えても自分で自分が分からないという状況です。結婚をしたり、子どもができたり、他にも周りの環境の変化で価値観が変化することはままあることだと思います。でも、「ずっと鉄道が好きだから今も乗りに行きます。子どもも一緒に。」とか「ずっとサッカーが好きで今も休日はフットサルしてます。Jリーグは子どもも連れて観戦に行きます。」とかいう人に憧れがあります。オタクと呼ばれる人についてもずっとブレない「好き」と言えるものがあって羨ましいです。自分で何かを選択し実行していくことは、その過程で起こったことに対して自分で責任を取らなければいけないので、それが怖いのかもしれません。

 

私は今まで意識高い系(からかっている訳でなく本当の意味での)障害者に対し、コンプレックスにも近いこじらせたような感情を持っていたのですが、その原因もこれなのかな、と思いました。メディアに出てくる障害者は「世の中をバリアフリーに」とか「障害者でも輝ける社会に」とか強い意志を持って何かの活動をされている方が多く、私のように特に社会に訴えたいこともなく、やりたい活動やライフワークと呼べる仕事もなく、パラアスリートのように大きな努力を重ねる訳でなく、ただ流されながら平凡な日々を送っている者からするとその姿が眩しすぎるし、私には何もないしなぁ、とちょっと劣等感を感じてしまったりするのです。(それは本当に私自身の問題で、輝いている人たちには何の責任もないのですが)

 

そんなこんなで、家族で誕生日を祝うためにスカイツリーに行ったら、思いがけず今までの人生や自分のコンプレックスと向き合うことになりました。私は何が好きで何をしたくて何のために生きているんでしょうか。

 

 

あ、あとスカイツリーの展望台の入場料ですが、障害者手帳を持っていると同伴者1名含め半額になります。