筋ジスと

筋ジスのこと、たまには筋ジスと関係ないことも。思うままにつらつらと。

3.11のこと

9月1日は「防災の日」ですね。昨日は長男の保育園でも避難訓練と引き渡し訓練がありました。なので、今日は東日本大震災時のお話。

 

2011年3月11日の地震発生時、私は霞が関の高層ビルで仕事中でした。フロア内はフラットでトイレも広く働きやすい職場でしたが、当時のオフィスは27階。地震発生直後にエレベーターが全機停止しました。ビルが古いこともあって壁にひびが入ったり、ちょっと剥がれてきたりして、オフィス内はとりあえず外に避難しようという空気になりました。「おぅマジか。」と思いましたが、他のフロアの人も次々と外に避難しており、余震で何度も揺れるビルに崩れるかもという恐怖を感じ、27階から1階まで階段を使って下りました。

 

1階と外のちょっとした広場はビル内で働いていた人たちが一斉に避難してきたためごった返していました。何となく同じ会社の人たちが集まっていて私もその輪の中に入ったのですが、そこでトップから今日は帰れる人は仕事を切り上げて帰宅してよいとの指示がありました。

 

私は何も持たず避難してきてしまったため、携帯や財布も含め荷物は全て27階のオフィスに置いてきてしまっていました。そしてその時は分からなかったのですが、鉄道網が麻痺していました。

 

みんなが27階へ荷物を取りに行ったり、仕事をしに戻る中、27階から階段を下りてきて疲労困憊だった私は、ひとまず1階にとどまりエレベーターが復旧するのを待ちました。夕方頃復旧したエレベーターに乗って27階に戻り、パソコンで被害状況を検索し、東北で大地震が起こり、津波が発生している、東京では鉄道網が麻痺しているということを知りました。鉄道がだめならバスで帰ろうと思い、荷物をまとめて外に出ました。徒歩で帰宅する人で歩道はすごい人でした。バス停まで来たものの道路は車で大渋滞していてあまり進んでおらず、やっと来たバスも満員で乗れる気配がなく、諦めてまた社内に戻りました。

 

当時の私の自宅は練馬区で、それくらいの距離なら歩いて帰る人もいたのですが、私は無理!と判断し、電車が動くまでは社内で過ごすことにしました。デスクの引き出しに入れていたおやつを食べながら、残ってる仕事を片付けたり、ネットで地震の情報を検索したり、当時関西で暮らしていた彼氏(現在の夫)と電話して無事を伝えたりして、結局翌日、電車が動いてから無事自宅に帰りました。

 

ちなみに当時住んでいたマンションは下層階がスーパーになってる上に近隣にコンビニもある便利なマンションだったのですが、帰宅した地震翌日の昼頃には買い占め後で、保存食の用意がなかった我が家はその後の食料にも不自由することになるのでした。そこに彼のお母さんから食料が送られてきて(発送されたのは震災前でただのおすそ分けだったのですが)、彼のお母さんにも届けてくれたヤマトさんにも感謝してもしきれない思いです。

 

ということで、障害者は避難するのも大変だから職場選びも慎重にというお話でした。当時は独身だったので会社に一晩とどまるという判断ができましたが、今は子どもを何としても保育園まで迎えに行かなくてはならないので、交通網が麻痺しようとも帰宅をしないといけません。高層ビル問題についてはその後、マニュアルができて、地震の場合は基本的にはオフィスにとどまるということになりましたが、火災の場合もありますし、自力で脱出できるオフィスを選ぶのがベストでしょう。普通に仕事を探すのも大変なのに、オフィス立地も選ばなきゃならないなんて!!という感じですが、自分の身を守れるのは自分だけですから。私の勤務先は最近、私の家に近い方向にすこーしだけ移転したのですが、そこから家に歩いて帰る体力をつけねばと思っています。それか家の近くに支援者(ママ友とか)を見つけて一時的に子どもを見てもらって、自分は交通網が復旧したら帰宅するのが現実的でしょうか。いずれにせよ備えあれば憂いなしなので、色んなケースを想定して備えておかねばと思います。