筋ジスと

筋ジスのこと、たまには筋ジスと関係ないことも。思うままにつらつらと。

朝霞の森秋祭りで木登りの記憶をアップデート

進行性の病気を患っていると、だんだん出来ないことが増えていくのですが、日常生活の中の動作なら出来なくなったことに気づくものの、たまにしかしないことだと出来なくなっていることにすら気づかないことがよくあります。

 

例えば歯磨き(電動歯ブラシ「ドルツ」 - 筋ジスと)は毎日するから手が自由に動かせた頃どんな風にやっていたのか、その感覚は思い出せないレベルに不自由な日々に慣れてしまっています。逆に発症してから数年後に初めてプールに行ったときは泳げる感覚が残っていたのに、いざ泳いだら全く水がかけずにバタ足で進むことしか出来ませんでした。腕は「気をつけ」の状態で動かせずただただビックリ、そしてちょっと焦って溺れそうになったり。他人からすると「自分で出来ることと出来ないこと分かりそうな気がするけどね!」と不思議がられますがやってみないと気づかないことが意外とあるのです。

 

で、今日は家族で朝霞駅近くの(と言っても15分くらいは歩く)『朝霞の森』で開催された朝霞の森秋祭りに行ってきました。バスや電車を乗り継いでえんやこら。このお祭りは初参加だったのですが、お天気にも恵まれ、程よい人出と、ゆるくて穏やかな雰囲気、充実のフードやアクティビティでとてもいいイベントでした。不満はトイレの場所が遠いこと(隣接する別の公園に行かねばならず、そこのトイレも和式のみで障害者にはなかなか厳しい)くらいですが、それこそゆるい雰囲気なので乳幼児はそれぞれ各家庭のレジャーシートの上で授乳やらおむつ替えやらしていました。(大人のトイレはもう頑張るしかない)

 

朝霞の森は「森」と言うだけあっていい感じの木がたくさん生えているのですが、私、実は子どもの頃木登りが得意だったのです。正確には木登りがものすごく上手なお友達がいて、一緒に遊ぶときに「出来ない」が言えず(見栄っ張りな性格でした。)必死について行った結果木登りが得意になりました。なので、普段の近所の小さな公園ではなかなか見かけない、登りやすそうな大きな木を見て「これは私の木登り技術を子どもに伝えるチャンス!!!」と思ってしまったのです。(私は人間であって猿ではないので木登り技術の伝承はそんなに重要ではない気もしますが、いざという時登れるときっと便利)

 

案の定、初めての木登りに長男は「怖い」「どうやって登るの?」と完全にびびっています。「ちょっと待って!お母さんも登るわ!」と張り切って登ろうとしたとき、あれ!?登れない!!!と気づきました。イメージは完全に出来ているのに上腕二頭筋が弱すぎて枝を握っても肘を曲げて体を引き上げることが出来ません。でも脚の力を使って何とか木登り初心者の4歳児と同じレベルまでは登りました。(ほら私、見栄っ張りなので、登ると言った手前出来ないとは言えず…)そこから横に伸びた枝をつたいながら更にちょっと登って長男にお母さんはあなたより登れるぞアピールをして、そしたらそこから戻れなくなって、情けないことに長男に「ゆっくりでいいから!ちょっとずつ足を戻して!」と励まされて何とか下りてきました。腕が曲げられないと下りるのも難しいみたいです。

 

一連のやりとりを次男を抱っこしながら、木の下で眺めていた夫が「いや、どう考えても木登りは無理でしょ」と一言。それはそう、確かに冷静に考えたらそうなんだけど、25年前はすいすい登れてて、目の前に登りやすそうな木があって、登れるイメージしか湧かなかったんだもん。

 

そう考えると今出来ないことに気づいてなくて、何なら「得意だわ」ぐらいに思っていることでも、実際やってみたら出来ないことってたくさんあるんだろうなぁと、私が登って下りられなくなった枝の遥か上まで簡単に登っていく小学生達を眺めながら思いました。そうそう、肘関節が曲げられないとけん玉とかお手玉とか出来ないんです。これも昔得意だったし、大して筋力を使わないイメージだったので、できると思ってやってみて全く形にもならなくて絶望パターンでした。

 

「木登り」今朝まではスルスル登れるイメージだったけど、今日の体験を通して、枝に手をかけてもそこから上に体を持ち上げられないから、足の力で登れる高さまでしか登れないぞ!っというイメージにアップデートされました。